Bashkirov先生のマスタークラスで聞いた話
- Junko Nagaya
- 5月5日
- 読了時間: 3分
今回のショパンコンクールの予備予選に、あまりにも多くのダンタイソン先生門下生がエントリーされていることで、Bashkirov先生のマスタークラスにて、先生が話されていた話を久々に思い出しました。一つはネイガウス先生にまつわる話でした。
Bashkirov先生はジョージアのご出身だと伺っています。実は、ジョージアのトビリシにある音楽院というのは、結構、モスクワ音楽院やジュリアード音楽院で名前が残るピアニスト教授になられた先生が、若い時にピアノを教えられていたケースがあるようで、一時期ネイガウス先生、さらに時代をさかのぼると、あのJosef Lhevinne先生も教えられていたようです。
その為に、第二次世界大戦前の話になりますが、ベルリンにてクロイツァー先生に師事されていたジョージア人のピアニストの方でも、ジョージア時代にはネイガウスに師事していたという、Josef Fidelmanのような方がいらっしゃるようなのです。
残念ながら、第二次世界大戦の勃発の為に、この方もドイツからアメリカに行かれたようです。Josef Fidelmanに関係した方がYoutubeに経歴と演奏をアップされています。もし、ロシア革命、その後二つの世界大戦が起こらなけば、音楽の世界の形相は全く違った可能性もあるのではないでしょうか?
Bashkirov先生はトビリシでモスクワ音楽院に行く機会が来ないか心待ちにしていて、ある時ネイガウス先生がいらっしゃたので、確かチャイコフスキーの小品を演奏されたとお話されていたような記憶がよみがえってきました。肝心の曲名を忘れてしまいましたが、ネイガウス先生の前で演奏されたのだそうです。しかし、ネイガウス先生はBashkirov先生のことはモスクワ音楽院の学生としてとられなかったそうで…
だから、バシュキロフ先生はヴィルサラーゼ先生の「いずれその時が来る…」という言葉を励みに、時を待たねばならなかった…という話をされていたのを思い出しました。
今回、ババイアン先生門下の皆さんとバシキーロフ先生一門につながる皆さんの演奏を聴き比べてみて、やっぱりバシュキロフ先生一門につながる皆さんの演奏スタイルはババイアン先生一門のスタイルとは違うなぁ…音色だけでなく、あの独特のテンパラメントも皆さんどことなく受け継いでいるような気がするなぁ…
バシキーロフ先生は、もしかして若い頃から、ネイガウス先生一門とは違うタイプのピアニストだったのかもなぁ…と、今回の予備予選を聴いていて思うようになりました。
私もテンパラメントがあまり上手に表出出来ないタイプなので、バシキーロフ先生には随分”喝”をいれられました。
ちなみに、その後、日本で随分昔に出版されたクロイツァー先生の著書を読んでみたら、そんな「テンパラメント」の重要性についてしっかり書かれているのに気が付きました。本を読むだけではイマイチ何の事かよくわかりませんでしたが、バシキーロフ先生の実演で、クロイツァー先生が言う、テンパラメントの重要性が身に染みてよくわかるようになりました。




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